知識として

「自分で作る垣根」

常識とか良識とか世間体とか倫理とか道徳とかは言葉にすぎない。カタチもなく、触れられず、見えず、固定されず、絶対普遍の正解など無く、揺れ動くあやふやな概念である。時代が変われば、場所が変われば容易に大きく変わってしまう類のもの。結局のところ、その人の内面にいつしか何となく形成される垣根のようなものであり、だからこそ自らのちからだけでそいつを越えるのはなかなかに難しいのであろう。多くのひとが吐露し合って共感できる部分の「垣根の幻影」を、先述のような言葉でくくって安心しているのだろう。英語ではcommon senseか。
そいつを気にしすぎて自らを縛り雁字搦めになって、折角の人の縁までを泣く泣く切っている、哀れなひとを知っている。可哀想に、自分の人生を生きてないね、と思う。
お前が本当に求めているのはそんな生き方では無いはずだ、と。
一度しか無い生ならば、魂の行きたがるところに行けばよいのに、と思う。

真面目ちゃん、良い子ちゃんであろうとすることに固執する心理は何なのだろう。。。
ひとからどう見られるかが、そんなに大切なことなのだろうか。お前の人生をお前の代わりに生きることなど誰にも出来ないというのに。
肉体は容れ物でしか無く、やがて老い、滅ぶ。血肉を分けた親子兄弟とて別に生まれ別に死にゆく、異なる人生。
精神こそ、魂の明滅こそがその人の人生ではないのか。
持って逝けるものは記憶のみしかないのだ。
それを楽しいもので埋め尽くすことが華やかな生涯であるはず。
よしんば後ろ指を指すものがままあれど、構わぬ。

自分の垣根は自分を正当化し許すことで理論的に守る為に自分で作っているだけのものであろう。自分の「こうありたい(見られたい)」「こうあらねば(そういう人だと思われたい)」という望み(ときに思い込み)の投影。自分自身の投影だから自分では超えられない壁となり立ちはだかる。そこに囚われてこころの自由を失う。そうしたものなのではないだろうか。
自分の内部に各々勝手に作り出しているものなので、極めてパーソナルな差異がある。カタチこそ無いが、意識として高いの、低いの、分厚いの、薄いの、鋼のようだったり、石造りのようだったり、植え込みのようだったり、垣根の中は広かったり狭かったり・・・様々。
だがしかし、そんなものは他人から見たらどれも滑稽な一人相撲なのだ。そう、お前がうすうす気づいている通り、大抵の場合誰もお前の事などそんなに気にかけちゃいない。
観客なき「良い子ちゃん一人芝居」を延々と続けている、しかも芝居を完成させたくて虚偽や隠し事という「爪先立ち」をしていて、自分自身さえも騙そうとしていて、無理を続けて、それに疲れ果てているとすれば・・・
自分を含む全方位に虚偽や隠し事を抱き、その上で構築する人間関係って何なのだろう。スタート時点から将来的な破綻が見え隠れしてはいまいか。

巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
やるせなき心のために
おお、雨の歌よ!
やさしき雨の響きは
地上にも屋上にも!
消えも入りなん心の奥に
ゆえなきに雨は涙す。
何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
この喪そのゆえの知られず。
ゆえしれぬかなしみぞ
げにこよなくも堪えがたし。
恋もなく恨みもなきに
わが心かくもかなし。 
──ポール・ヴェルレーヌ

私が言いたいのは、ひとびとが日々、寛容さを喪いつつある、ということだ。不要と思えるまでのルールのためのルールとか、良さげに見える(聞こえる)概念の固定のためなのか、疑わしきまでを皆んなで総攻撃して社会的抹殺とか、ありたい自分すらが見えなくなってはいないかということである。「模範的であれ」「良い人であれ」の同調圧力が、集団狂気であるように見えるのだ。個の意味を、生の意味を忘れ、踊らされているだけではないのか。

紅葉に赤いタンクと緑のタンク

P1000898早朝に眼が醒めてしまったので小文を書く。
 布団から出た空気は少し冷たい。室内でこうなのだから外はきっと引き締まった寒さであるだろう。もしかすると雲が晴れ、冬の星座が大昔の光を投げ寄越しているかもしれない。螺子蓋のついたアルミ缶に昨日詰めておいた珈琲をマグにあけ、レンジで温める。本当は満天の星空にわざわざ火を起こして飲む、金属のシェラカップの熱い縁にふうふうと呼気の湯気をたてる状況が、野趣を満喫できていいだろう。
 同型のモーターサイクル愛好者の会があり、時折思い出したように集合の知らせが来る。あれやこれやと規則があるわけでもなく、不必要にベタつかないところがいい。昨日は福岡を少し中九州の方に入った「星野」という土地での会。八女は茶の名産地であるが星野はその中でも比較的高い標高に位置しており、そのせいか最も上質なものが栽培されるらしい。昔、一度だけモトクロスの全日本大会を見に来たきりなので随分と久しぶりの土地、干支が何度か巡ってしまったのでもう、初訪問に等しい。
 「茶の文化館」という施設で集合し、暫し駐車場でのバイク談義。流行というものの浅はかさからはかけ離れたそのモーターサイクル達は人の会話をよそに「よォ、元気だったか?悪いところはないか?」と機械同士で無言のやり取りをしているように思えた。70年代の雰囲気を模した昨今のネオレトロ流行りであるが、このモーターサイクルが発売された頃もメイカーの狙いは似たようなところにあった。ただ、ユーザー層は今と違って流行りに飛びつく感覚ではなく、しっかりとした設計思想に作り込まれた車体がやや懐古趣味的な落ち着いた英国風のものにデザインされていて、それが気に入ったのである。大袈裟に言えば他人の考えに流されず、確たる自分の嗜好をちゃんと自覚できている人達が選んだ、そうした車体なのだろう。
 可愛らしく繊細な和菓子が添えられた茶を嗜み、次の目的地、近隣の街へ食事に向かう。ベテランあり、リターンあり、初心ありの小集団は自然と隊列をなし、山あいを翔ける。集落ではゆっくりと、見通しのあるところでは少し速く。トンネルをくぐり抜け再び光の中に開放される、と、お茶の香りが鼻腔から肺に吸い込まれた。近くに製茶工場があったに違いない。
 タイヤで道路を手繰り寄せ、ライダーは風景だけでなく空気の中をも移動するのだ。季節で、地形で変わってゆく温度や湿度や匂い、植物の放つ匂いや潮の香り、夏場のむっと立ち込める緑の呼気や花の香り、空気の中をも旅をする。鉄と硝子に囲まれた4輪車の移動はラクで快適だが、この圧倒的な情報量の差はどうだ!人生を「脳が感じ取れる情報の変化」と定義するならば、モーターサイクリストであることは「より深く濃密に生きる」ことを選択した人々であるかもしれない。

2nd day 昼メシまで


https://goo.gl/maps/oNcPC6tMsq5tZBQdA

1st day 2021-03-30

コロ助(武漢肺炎)狂想曲

こげなふうたい。勇気のある現役医師たちに感謝!
以下コピペ
【既にこれだけ出そろってる!医師たちの真実の言葉】
・・・・・・・・・・・
◆「メディアが恐怖を異常に煽っている。一年以内のワクチン開発などありえない。新型コロナウイルスは人工的に作られたのではないかと思われるフシがいっぱいある」
ノーベル賞・大村智博士(月刊致知)
◆「コロナによる被害は、ウイルスによる病気や死亡よりも、特に子ども達の精神に対する害が最も大きい。子どものマスクの着用により、身体、行動、学習、情緒のすべてにわたって非常に多彩な障害(副作用)を認めました」
本間真二郎医師
◆「PCRは諸悪の根源。コロナは人災である。指定感染症から外すか5類へ。コロナは分子構造、免疫特性、臨床症状まで非常に詳しく分かり既知のウィルスになった。インフルエンザワクチンとコロナワクチンは決定的に違う。打つ必要無し。遺伝子改変と同じ医療行為で10年20年経たないとわからない。1回打ったら元に戻せないワクチン。生涯にわたり自己免疫疾患的な副作用を持つ可能性あり」
大阪市立大学名誉教授・井上正康氏
◆「マスクは新型コロナに対抗するための免疫力を低下させます。免疫力の源泉が呼吸にあるからです。マスクをすればするほど免疫力を低下させて自分を新型コロナに感染しやすくしている」
帯津良一医師(週刊朝日)
◆「非常事態宣言・外出自粛は2 度と繰り返すべきではない」
慈恵医大・大木隆生医師
◆「毎年1000万人以上がインフルエンザに罹患して、患者は冬季に集中しているのに「インフルエンザの流行で医療崩壊」は絶対に起こりません。新型コロナは1年かかって死者は2000人に到達しないただの風邪です。1ヶ月で3000人を殺すインフルエンザの比ではありません。ただの風邪を2類という「ものすごい感染症」扱いして軽症者も入院させ、その結果、「ベッドが足りなくなる」⇒「コロナ以外の重症患者を入院させられない/通常の手術ができない」⇒「医療崩壊だ」と騒ぐのはあまりに頭が悪すぎませんか?
これは「医療崩壊」ではなく「医療、阿呆かい?」ですよ」
新井圭輔医師
◆「世界一のベッド数で欧米の100分の1の患者数で崩壊させたら世界からどう思われるだろう?日本人にとってコロナの致死率はインフルエンザ以下であることが明らかだ。死亡するのもほぼ持病持ちの高齢者で、インフルなら少なからず重症化する子どもはほぼ重症化どころか発症すらしない。それでインフルその他多くのずっと怖い感染症を減らしてくれたのだ。こんなに優しいウイルスはない。この冬は恐らく、歴史上最も感染症的に安全な年の一つになる。それなのに、なぜ自粛する?経済を止める?インフルが大流行した一昨年まで、自粛したか?経済を止めたか?人にマスクしろと言ったか?」
石井仁平医師
◆「PCR陽性者=感染者ではありません。PCR検査をやり続けた場合、永久にゼロにはならず、この騒動はいつまでも収束しません。今回の騒動は考えれば考えるほど疑問だらけです」
藤原紹生医師
◆「マスクをして会話をする事で微生物の受け渡しができずに免疫を上げる事が妨げられ、余計に感染しやすい身体になってしまいます。子供たちにマスクをさせているのは馬鹿げている。
医療機関や学校などでPCR陽性者が出た時に全員に検査をして複数の陽性者が見つかるとクラスターだと騒いでいますが、無症状の陽性者を見つけても誹謗中傷の的を増やしているだけで、どうして風評被害を拡げようとするのか理解できません。経済を落ち込ませ、人々の心を荒ませ、相手を信じられなくするような社会を作り、コロナ死亡者以上に非感染者の自殺者を増加させて、どうして平気で居られるんでしょうか?もうそろそろこの茶番を終わらせてもらえないでしょうか?」
金城信雄医師
◆「食事中にマスクを付けたり外したりしろなんて言うのはナンセンス。感染の基本がわかっていない。無しです。
心筋梗塞で亡くなったのに、コロナ陽性であればコロナで亡くなった、としている現状にはものすごく不満を抱いている。医師が付けた病名、死因を覆すことはあってはいけないと思う」
後藤礼司医師
◆「PCRという当てにもならない検査で「陽性になった人」の数を、「感染者」とすり替えて虚偽報道していますが、これは犯罪です。PCR陽性者を感染者だと言って、しょっぴいて隔離処置にし、職場にまでガサ入れする。これは重大な人権侵害、営業妨害です。マスクも感染を防御する効果は全くありません。効果がないだけならともかく、マスク長期着用は有害で危険です。慢性的な低酸素血症を引き起こし、免疫力低下をもたらします。さらにマスクに付着した細菌や真菌、ウイルスで逆に不潔で感染のリスクが高まります。また、装着2時間後から記憶を司る海馬の細胞が死に始め、長期着用で認知症や子供の発達障害の危険が出てきます。人の表情が読み取れないことから小児には重大な精神発達障害、コミュニケーション障害も懸念されます。三密を避け、寄るな、触るな、こもってろ。これも嘘です。「新しい生活様式」とやらは、免疫を低下させ、さっさと死んでもらうための様式としか言えません。」
小林有希医師
◆「日々繰り返される報道の偏りと嘘。未だに陽性者数を報道する時に検査件数は報道しない。「陽性」と「感染」と「発症」は違うと医学部で教わったが、指摘する人は少ない。あまりに質の悪い報道が多い。本来ワクチンは治験を含めて開発に10年以上かかるのに、たった半年でできたと言っている。何年も前から準備していたか安全性が確認できていないものを垂れ流すか、どちらかしかないだろう。安全性が確立されていないものを患者さんに打つわけにはいかない。私自身も打たないと決めている」
正木稔子医師
◆「マスコミは、どこでクラスターが発生したと、連日施設名、学校名など出して報道していますが、それでどれほど傷つく人がいるのか、無責任なものです。クラスター!とレッテルを貼られて報道されてしまうのは非常に疑問です。決して犯罪者ではありません。さらに、国や専門家から「気が緩んでいる!」などと上から目線で言われるのは、あまりに不愉快です。そのような報道には惑わされず・振り回されずに、心身の安定を図るような日常を心がけましょう」
武田恒弘医師
◆「『陽性』イコール『感染』とは、絶対にならない」
船木威徳医師
◆「接種する意味のあるワ苦チンは一本もない。ワ苦チンには様々な有害物質が含まれている」
中村篤史医師
◆「健常者のマスク常用は無意味どころか、かえって感染拡大に加担したり、健康を害するリスクが明確」
整体師・西田聡先生
◆「ワクチンは難病奇病万病の原因です。打ってはいけません」
石川眞樹夫医師
◆「第3波到来と大騒ぎをしている背景にはPCR増幅回数のトリックがあります。無症状や軽い風邪の人にいきなりPCRを実施し、増幅を40回以上繰り返し「コロナ感染者」と診断しているのが現状。人類がかつて接種されたことのないDNA・RNAワクチンだけに、免疫系の暴走や遺伝子異常など何が起きるか分かりません。打つな!新コロナワクチン」
高橋徳医師
◆「ウィルスや細菌などが付着したままの同一マスクの常時着用は、感染のリスクを高めてしまうという極めて当たり前の考え方が、感染症専門家が何故できないのか不思議。マスク着用は、感染を逆に広げ重症化の要因になりうる。感染状況が一旦収束してから、第2波防止のためマスク着用を義務化した多くの国で感染者数が逆に増えています。」
竹林直紀医師
◆「風邪のワクチンは変異するから作れないとわかっている。詐欺にしか見えない。副反応以前の問題」
萬田緑平医師
◆「PCRはあまりに不確定な検査。これ以上継続したら世界中の皆様が地獄へ向かうことを警告させていただきます」
小峰一雄医師
◆「感染者が増えていると言う嘘を垂れ流し、自粛させ、経済悪化を招き、倒産者、解雇者、自殺者を増やすのか?犯罪でしかない」
杉田穂高医師
◆「『新型コロナ』を『指定感染症』から外すことである。
『ただの風邪』である若年層には明らかに過剰な措置だ。数日で回復する軽症の感染者であっても入院隔離となり、病床が埋まる。その結果、医療関係者の負担が過多になり、本当に医療措置が必要な高齢者や基礎疾患を持つ人のための医療体制が崩壊に向かいつつある」
立命館大学政策科学部・上久保誠人教授
◆「症状がない限り、マスクをしても意味がない。
マスクで息苦しくなると肺炎のリスクが高まります」
伊達伯欣医師
◆「再自粛・社会的距離・三蜜回避は不要。ウィルスとの共存を」
上久保靖彦教授
◆「『予防接種をしていると発症が軽く済む』という話ですが、予防接種の原理は抗原抗体反応です。医学生理学的に1対1対応です(鍵と鍵穴)。ということは防げる vs 防げない(ドアが開く vs 開かない)だけになります。発症した時点で予防接種は無効だった証とも言えるでしょう。故に、軽く済むということはない訳です。軽く済んだのは、貴方の免疫力のお陰様に他なりません」
田中佳医師
◆「PCR検査を行うこと自体に意味がない。このような検査で確定診断しているのはもはやファンタジーやオカルトの世界の話」
松本有史医師
◆「マスク・過剰殺菌・引き篭りは免疫力を下げ、病氣を増やす」
Dr. Dan Erickson
◆「酸素欠乏は永久的な神経障害を引き起こし、あらゆる臓器にダメージを与えます。子供や思春期の子供にとってマスクは絶対に禁物。酸素欠乏は脳の発達を阻害し、その結果として生じたダメージは元に戻すことができません」
マーガレット・グリーズブリッソン博士
◆「無症状感染など無いことが証明された」
ロバートケネディ氏
◆「コロナ茶番劇は、完全なる事実無根の大衆的ヒステリーであり、メディアと政治家による扇動。極悪非道。過去に類を見ない正直な一般市民への最大の詐欺行為。コロナは、エボラでもなくサーズでもなく特別な対策は何もいらない。マスクも社会的距離もまったく意味が無い。PCR陽性は感染を意味しない」
Dr.ロジャー・ホディキンソン氏(医学協会病理検査部門元会長・ウィルス学も含む病理学が専門)
・・・・・・
以上、嶋みずえさんの投稿より

合法ドラッグ体験

 床屋を覗くと二人待ちだった。ひとりでやっている床屋では、まだ小一時間は後になりそうである。小腹が空いていたので一旦離れてコンビニへ向かった。数日前から無性に食べたいと思っていた、あの「悪甘いチョコかけ揚げ菓子」を探すが見当たらない。なのでATMの用事とタバコだけを求めて、さらに近所のスーパーへと移動した。短距離の行ったり停めたりに都度都度ヘルメットとグラブの着脱を伴うオートバイは面倒な乗り物だ。あった。80円から釣りの来る安さは流石福岡市の老舗スーパー、庶民の味方であるという認識をさらに強める。昼食用のインスタント麺と一緒に茶色いサイドバッグの左側に詰める。

 再び先程のコンビニへ珈琲を買いに戻る。少しエスニックな顔立ちの中年女性店員が刹那見せた「あ、また来たこの人」という眼差しを感じ取れる、人間の感覚というものは素晴らしく鋭敏でそれ故にまた、時に邪魔なものだ。
左に傾ぎ停めたままのオートバイに跨る。紅いメタリックのガソリンタンクは全部が滑らかな曲面で構成されているので珈琲テーブルには向かないが、2度3度置き直してカップが安定する場所を決めた。跨ったまま身体を捻ってサイドバッグから揚げ菓子を取り出し、しばしの寒空オープンカフェを楽しむ。2メートルほど離れた所に停めてあった駕籠付き自転車の持ち主が戻ってきた。普通に美しい、若い女性だが、こちらをチラと見やる怪訝そうな表情が残念ながら彼女の持っているであろう魅力を半分以下にした。ニコリと笑って「寒いですね」とでも言えば会うもの皆んながいい日を過ごせるだけの容姿なのに愚かだな、と思う。

 本格的な冬が近いと感じさせる空気のなかに身を晒しながら甘い揚げ菓子を齧っては熱い珈琲を胃に流し込む、それを繰り返すうちに何故だ、ほわんとした気分、いや、気持ちだけではない、明らかに軽い酩酊状態のようなものがやってきた。丁度、すきっ腹に2〜3杯のビールを流し込んだくらいの酔い。自分でその状態の訪れに少し驚きながらも「OLEOを食べるときにはドラッグを使用した時と同じく大量の脳内麻薬が湧出する」という記事を思い出した。あぁ?これもそうなのか?
このチョコかけ揚げ菓子(分類はパン)はリョーユーの「マンハッタン」というもので、九州一円のひとたちのソウルスイーツである。竹下製菓のアイスバー「ブラックモンブラン」と双璧をなすはずである。子供の頃から食べつけて来た味は忘れがたい。まるで依存性があるかのように時々無性に身体が欲しがる。いや、脳だ。脳が欲しがるのだ。つまりこれは合法ドラッグなのだ。

 私は少しほわんとしたままの状態でオートバイを床屋へ向けた。

ファースト・コンタクト

新鳥栖駅から博多駅までは12分で着く。喫煙ルームのある車両だったので、タバコを吸ってスマホを弄っているうちにもう待ち合わせの博多駅に着いた。
女は改札を降りたすぐのコーヒーショップに待って居た。
一枚の写真すらなく、相手の顔を知らないままでの待ち合わせだが、私の方はアプリケーションソフトのプロフィール画像に最近の写真を載せ、判別しやすいように同じ服装をしてきたので、相手は容易に私を見つけるだろう。
コーヒーショップの入口写真を送り、着いたことを知らせる。店内へ進むと喫煙ルームの一番奥から大きな目をした長めのボブカットの女が飛び出るようにして近づいて来た。
「ミィちゃんか!?」「うん!」
そのまま、一緒にコーヒーショップを出た。「私、ブスでデブでババア。白髪ボブ」と書いていた女は面長のスレンダーでかたちのよい尻と足をしていた。
「ミィちゃん、君は嘘つきだな。綺麗じゃないか」
「・・・化粧してるから!」
「デブなんかじゃないし」
「デブだよう。ダイエットしなきゃ」
165cmの身長に太ったと言いながらの51kg、ダイエットの必要なんて有るのか?
ネットで見る最近の若者たちの間では20代前半でババアなんだそうである。ミィはその年にさらに20を足した年齢だったが、いかにも子供を産んでいない未婚の女らしく、まだ娘感を漂わせていた。

ふたりとも昼食を摂っていなかったので以前よく利用した中華軽食の店へ歩いた。
ここはプロ野球選手や監督も利用するという、知る人ぞ知る良店だ。
私は定番メニューの皿うどんを頼み、ミィは迷って選んだかしわご飯が生憎売り切れていたので炒飯を頼んだ。
「炒飯食べる?食べていいよ」と勧めてくる。
半分も食べきれない、小食な女だとわかった。

コンビニの前で一緒に煙草を吸い、また歩き、キャナルシティに向かった。
キャナルシティが見えて来た時、女はいきなり「Cをとったらアナル・シティ!」と周りの通行人に聞こえてしまう程の音量で声を発した。
「ちょ、そんなこと大声で言うなや!」
こりゃチャットの中限定での破れキャラというわけでもなさそうだ・・・。

(寒い→ジャケット貸す)

キャナルシティでdocomoショップを見つけると「私電話買う!」と言い出してそのまま機種変更手続きに入った。
(おい、映画観に来たんだろうが)
一時間半ほど手続きに食われ、目的の映画は諦めざるを得なかった。そしてその間私は待ちぼうけで、ひとりブラブラ歩きまわっていたのだ。
いつの間にか雨は上がっていた。夜のとばりが舞い降り、街は昼間と全く違う表情をしていた。
ふたりは暗くなった博多の道を腕を組んでゆっくりと駅へ向かう。明りの少ないエリアから、突然駅前のきらびやかな通りに出た。新しいビルのマルイのネオンが目に飛び込んでくる。
「きっておいおい!」女は叫んだ。
ビルの壁面には『KITTE 〇I〇I』の文字が光っている。
本気でそう読んでいたらしいので昔のCMキャッチコピーを教えてやると「ふぅん・・・」と素直に納得したようだった。

・・・くっそ変なオンナ・・・。
思わず苦笑い、明日のことを簡単に伝えて改札口で手を振った。





幼稚園は楽しいところだったか?という考察

白組の吉永って奴は、一人だけ特別に牛乳ではなくヨーグルトだった。加来いつ子先生は優しくて好きだったのだがデカい団子っ鼻が残念な薩摩おごじょだ。「僕もヨーグルトがいい」と訴えると「吉永君は飲めないから仕方がないのよ」と困ったように告げられた。羨ましかった。特別待遇の吉永と、普通に牛乳飲める自分の身体を憎んだ。今は腹が緩むので飲まないけどね!(笑)

上村卓也は近所の医者の息子でよく遊んでいたが、園での接触は何故か少なかったように思う。ただしくんと仲が良いことを知られたくなかったのか?裏表のある奴め!卓也の家で読んだ怪奇漫画(口から血を垂らした悪鬼の形相の女の首が空中を飛び回る)と、卓也の妹のたまきやら母親となんだかダブって刷り込まれた。夢にまで見るくらいしばらくは恐かった。

近くの団地に住む井ノ口まり子を好きだったが、今思い出すと眉の左右が繋がったぱっつんゴリラである。なんで好きになったんやろ???ある時まり子の住む団地に行って、少し開いたままにしてある扉の前に立った。「あそぼー!」と声をかけようとする直前、隙間から父親の両足の甲にそれぞれ左右の足を乗せ、両腕を上に父から引き揚げられながら歩いているのが見えた。楽しそうな家族のいちシーン・・・幼稚園児にも遠慮と言うものは存在する。声を掛けるのを止めて、その場を離れた。

少しオツムの足りない身体の大きな園友も居た。〇〇ちゃんと親しく呼んでいたが実はちょっと怖かった。後に小5〜中2で少しばかり関わった上田寿司屋の息子の「うえちゃん」と類似した存在。

お昼ご飯の後の園庭で自由に遊ぶ時間、遊具から誰かが落ちて流血の惨事を見た。ブランコを大きく漕ぎ過ぎ転落したのではなかったか。口元の、砂混じりの血、歯に付着した血の色を覚えている。

園が会場となるYAMAHAオルガン教室に行かされるのが嫌だった。上手く弾けなくて手の甲を母親から叩かれた。競争心も憧れも持っていない幼児にはオルガンを上手に弾けることの意義が見いだせなかった。言われるままに親に従う園友達を見て「この人たちはやりたくてやっているのだろうか」と、不思議な感じがして、ぼんやりと眺めていた。

クレヨンで絵を描いて先生に見せに行くと一応褒めてはくれるがその態度に「ああ、もう、うるさいわねえ、毎度毎度下っ手くそなつまんない絵見せに来てぇ!」という感情が大きく混じっていたのを見逃さなかった。園児なめんなよ(笑)

登園中に首を立てこちらを向いて威嚇して来る七面鳥に往く手を阻まれることが何度かあったし、牛だか馬だかの頭蓋骨が道端に転がってることがあった。梅雨時に溢れた側溝で大きな鮒が打ち揚げられ苦しそうにパフパフしていた。目玉が飛び出たようになっていて気味が悪かった。なんとも不思議な環境に居たもんだ。鹿児島市。
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追記:吉田少年はミディ=クロリアン値が異常に高く、親や周囲の大人たちから将来の期待と不安が半々にかけられていたという。残念だったな、今や見事にダークサイドだ!!

【ワンコの想い出−6−】

最初に飼ったゴールデンレトリーバーは「もなみ」。雌なのでmon amieですか。我が家を建てた大工さんが「近所で生まれてるから交渉してあげようか」と言うので、お願いして譲ってもらった犬だ。ゴールデンにしては気性が荒く、よく吠えもした。家庭訪問で我が家にやってきた先生に「吠えるゴールデンというのも居るんですね・・・」と言われてしまう程、大人しいイメージとはちょっと離れた個体だったようだ。毛色は暗いオレンジで、よく見るベージュ色(2代目ミカンもベージュ)ではなかった。初めて飼う大型犬でもあり、初めての室内飼い。息子たちはまだ幼児。もなみは息子たちを「自分より下」と見ていたようだ。体重は倍ほどもあり、牛馬や豚の骨を与えるとバキバキ音を立てて噛み砕くほどの顎と歯。低く唸り怒りの尻尾(真上に立て毛を広げる)などをしていたので今考えると恐ろしい。飼育・扱い・躾にこちらもわからないことが多く、今にして思えばもなみにも結構なストレスを与えていたことだろう。ゴメンな・・・・
もなみの顔をガシっと左右から掴み、頭頂部をクンカクンカと嗅ぐ・・・イイ匂いというのとは少し違うのだが、何と言うのだろう、なんとも心落ち着き癒される不思議。この行為を私は「アロマもなピー」と名付けたのだった。
ちなみにふわりと風に髪をはらませイイ匂いをふりまくお姉さんも頭皮自体は臭いものだよ(笑)

【アロマテラピー】
一般的には、精油(エッセンシャルオイル)、または精油の芳香や植物に由来する芳香を用いて、病気や外傷の治療、病気の予防、心身の健康やリラクセーション、ストレスの解消などを目的とする療法である。芳香療法、香料治療とも。実際様々な方法で用いられている。ムード作りのインテリアの一種としても使われている。使用される精油は植物に由来する揮発性の油で、それぞれ特有の芳香を持ち、生物活性が科学的に認められるものもある。

SNSプロフィール画像に思う

これは私の思い過ごしの内かもしれないが、プロフィール画像にはその人の姿勢というか性格というか大袈裟に言うと生き方が見え隠れしていると思うのだ。ときには願望も。いわば文章につけるタイトルのようなもの。「名は体を表す」例えば自分の後ろ向きの写真がプロフィール画像である場合、その人は隠し事が多いのかも。嘘つきな自分を自覚しているのであろうかとも思える。アニメのキャラや他人(芸能人など)をそれにしている場合、自分に自信が持てないとか変身願望なのかな。。。とか思う。無論、宣伝的な意味合いや、アイコンだと割り切って自分の趣味や仕事ををアピールしているもの、短期的にネタでやっている場合などは例外ですがね。そう想像するのだ。

戦争を語らぬ親

我が父は満州に出征。戻ったときには豊かだだった髪が殆ど抜け落ち、脛には大きく銃槍があったと大分の叔母から聞かされた。彼も四人の息子たちに従軍中のこと、戦争にかり出された先で何をしたのか、見たのか何も語らなかった。復員してからは大牟田で雑用係から新聞記者へ。三池炭鉱の朝鮮人暴動に巻き込まれ数日間拉致された。そこで殺されでもしていたら、当然私は生まれてはいない。父は幾つかの通信部、支局を任されて歴任、最終的には福岡総局で記者としては引退したが、新聞屋としてのポリシーは「真実を、いち早く」に尽きるものであったという。父は祝祭日の日の丸の揚げ降ろしを三男坊(私)に命じていた。父や部下の人たちの残した記事を読んでみたいと思いつつ父の享年に近づいてきた。

ペットの生体販売に思う

生体販売の有り方はいかんよね。野菜と一緒かそれ以下やもん。ペットの処遇に関しては日本はまだまだ後進国。販売側は免許や定期的立ち入り検査などで質を上げ、購入側も講習を受け、誓約書を書き、捨てたら厳罰、最後まできちんと看られる者でないと、飼うたらいかんと思います。「子供がカワイイというから」のノリで買うのはぬいぐるみにしとけって、言いたい。
 
保健所職員「もうボタン押させないで(涙声)」

本当に良心的なブリーダーさんを知って直接お願いすれば健康な個体が「ペットショップの1/2〜1/4」で譲渡していただけます。私の場合、「ミックスカラーだから市場価値がないのです。お家で買う分には全然問題ない」と、血統書も付ければ付けられるトイプードルを注射代込み僅か4万円で。引き渡しまでの飼育手間を思えば、謝礼にもなりません。ネットで見たら同じミックスカラーが52万円で出品されていました。アホか銭の亡者!
そのブリーダーさんとはじっくりと犬についての話をして懇意になり、家族と何度も訪問しました。

大分の従姉妹はペットショップで先住犬のお婿さんを買ったのですが1週間で死亡。(ショップの健康管理に問題があったとしか思えない)2番めのお婿さんの息子が今我が家に居ます。
ペットショップで売れずに育ちすぎてしまった子達がその後どうなっているのか・・・知ると怒りがこみ上げますよ。
ショップの価格が高いのは「売れなくて廃棄」を考えた値段が乗っているからです。家賃と人件費が乗っているからです。
どんな状況で育てられているか見えないネット販売なんか、どうして信用できましょうか。
私は現状の形態での店舗やネットでの生体販売には断固反対の立場ですね。ワンコ大好きだから。
にゃむっ。

となりの大馬鹿

flags
宗主国様も艦艇派遣取りやめだそうである。

【ワンコの想い出 -5-】

noie


記憶にはないが「大きいアーデン」という犬と「小さいアーデン」という犬を別の時期に飼っていたらしい。小さいアーデンはワイアーフォックステリアだ。写真は見たような気がする。無論そんな犬種名を幼児の私が知る由もなく後年母親から聞いた。
スタンダードプードルは30kgにもなる大型犬だが、トイプードルはどうかするとその1/10の体重もない。大きいアーデンと小さいアーデンはそのような関係の犬だったのだろうかと思う。
今、家で一緒に暮らしているノイ(Noie)くん【写真】は、ミニチュアシュナウザーだ。スクエアな体型とトボけたような顔の表情がワイアーフォックステリアに近似していると思う。

【ワンコの想い出 -4-】

鹿児島市の原良小学校の隣にあった昭和幼稚園に、歩いて、一人でまたは上村卓也とふたりで通っていた。4〜6歳の記憶を辿って今GoogleMapsを見てみると、多分最初頃は城西2丁目20番、後に2番の東の端に移ったのだと思う。
最初の家は古くて大きかったが、間取りなどは流石に思い出せない。
 白黒テレビで観たキングコング・ジュニア(最期は人を救って沼地に沈んでいく)や初期のポパイやニトログリセリンのドラム缶をトラックで運ぶ使命を帯びた日本兵の映画(兵隊やくざ?)、泣いている赤ん坊(弟)の膝にあった真っ赤な楕円形の痣を不思議に思って見つめていたこと、玄関の前に停めてあった親父のオートバイ(多分トーハツ125)が倒れてきて下敷きになり動けなかったところへ、丁度良く飯塚から訪ねてきた叔父の康之さんに救われたこと・・・。そんな記憶が断片的に浮かぶ。

犬が居た。大きなシェパード。母屋とは庭の対角あたりに繋がれ、材木か何かが積んである上に、いつも首を立てて伏せ姿勢をとっていた。仔犬を見たり触ったりの記憶がないので、おおかた親父が成犬を貰ってきたのだろう。新聞記者だったので、警察にも知り合いはあったろうから、もしかすると退役した警察犬だったのかもしれない。
 Ham少年はこの犬が嫌いだった。名前はラッキー(日本語だと吉田の「吉」だね)だったと思う。幼稚園から戻って庭に入ったときに、私を見て野太い声で吠えられる毎日が怖かったからだ。私よりもずっと大きい身体の犬なので近寄るのも怖かった。今思うとシェパードは賢い種類の犬なので吠えるのは威嚇しているのではなく「おかえりなさい」を言っていたのだろう。近寄ると吠えていたのは喜んでいたのだろう。

ある日幼稚園からひとりで帰って「また吠えられる嫌だなあ」と覚悟しながら庭に入るも、吠えられない。
ラッキーを見やるといつもの首を立てた伏せ姿勢。口はキリッと結んでいたようにも思う。じっとして動きがなかった。不思議に感じつつも家へ入りながら「目がヘンだった」とだけ、ちらりと思った。そしてすぐにラッキーのことは頭から消えた。
 夕食のときだったろうか、母親がラッキーが死んでいたことを父に話しているのを聞いた。少しほっとし、すこし驚いた。
 
そんな姿勢を保ったまま死ぬなんて、弁慶か。やはり退役した警察犬だったのだろうと今にして思う。

【ワンコの想い出 -3-】

ドールは元々寿司屋で飼われていた犬で、どういう経緯か親父が譲り受けてきた犬だ。相当イイもの喰って育ってきたらしく、冷や飯に冷や汁ぶっかけたような、当時の典型的な犬飯など見向きもしない。母親が苛立って「この犬は贅沢か!」と吐き捨てていたのを思い出す。おまけに懐かず、従わない。親から散歩を命じられて出かけても、行きたい方向に進めないことばかり。歴代の犬の中でもナンバーテン(最低という英語表現だべ)、好きになれなかった。
ちょくちょく家出をする犬で、1〜2日行方不明なことはよくあったが、ある時1週間くらいも帰って来ない。Ham少年は家の庭で一人遊びをしていた。しゃがみ込み、棒で土(赤煉瓦を細かく砕いたような、粗い赤い砂利だった)に何か描いていたと思うのだが、その最中にふと、好きでもない飼い犬のことを思い出して、もう帰って来ないのかなぁ、などと考えていた。
とっと、ととっと、と(じゃ、じゃという音が混じる)・・・なにかの不規則な足音が近づいて来た。顔を上げた。ドールだ。
痩せこけて毛並みもばさばさとした感じになったドールはHam少年の前まで歩み来ると、そのままバタリと横に倒れた。開いた口から舌をだらりと土の上に垂らし、そのまま息をしなくなった。

【ワンコの想い出 -2-】

友達とふたりで立岩小学校から下校していたら、離れた田んぼの中から、すがるような激しい犬の叫び声がした。何となく聞き覚えのある声で呼ばれた気がし、ただならぬものを感じて恐る恐る近寄ると、掻き分けた稲穂の奥深くで、当時家で飼っていたドール(数日前から行方不明)が虎挟み(罠)に脚を噛まれていたのだ!きっとドールは人間とは異なる鋭敏な能力、声か匂いで見えない私が通るのを感じ取り、助けを求めたに違いない。しかし2年生のHam少年のちからではどうにもならない。大変だ〜!と焦るばかり。
5歳上の兄を呼んだぜ53年前@飯塚市

【ワンコの想い出 -1-】

嵐の夜に親父が仔犬を拾ってきた。びしょ濡れで彷徨い、可哀想だから雨宿りだけさせるのだと。段ボール箱に入れ、上がり口に。夜中、親父の水虫の趾(あしゆび)をカリコリ齧るものがある。親父は可愛くなったのだろう、飼うことになった。名前は『サイクロン』とつけた(笑)45年くらい前のハナシじゃよ。1号本郷猛、2号一文字隼人の時代ね。

【ワンコの想い出 -番外-】

オート井元に「ベル」という小汚い犬が居て、アルバイトの整備士(皆んな学生)たちは、脂で黒く汚れた手をベルの身体で拭いていた。すまんかったのぉ、ベル。
あるとき、数日行方不明のあと白くなって帰ってきたことがある。おっちゃん曰く「海に捨てられたっちゃろうね」
40年以上前のハナシや。
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