2005年07月

何か勘違いしとろうが

知識・技術というものは、その人が一生懸命時間はもちろんのこと、気力、体力、精神力やお金を使い身につけたものだ。そして経験の蓄積というヤスリで磨きをかけてきたものだ。あるときは力不足で怒鳴られたり、迷惑をかけたりして落ち込み、そこからまた這い上がる。自分なりの創意や工夫を加えて、その人の知識・技術として積み上げていく、そのような尊いものであると考える。

しかし実際にはそうしたものがそれにふさわしい価値として扱われていない場面は多々ある。わしはわしに自分の知識を惜しげもなく教えてくれる人を尊敬し、大いに感謝もしているが、だからこそ尊敬も感謝もしてくれない相手がわしの知識を引き出そうとすることに腹が立つのだ。たったひと言「ありがとう」「助かりました」がなんで言えないのだろう。それだけで「あぁ、わしの知識が人の役にたったんだ」と思えて報われるのに・・・。便利屋扱いしないでくれ、尊敬も感謝もしないならせめて金でも払えっつうの!言葉にすればものの数分で説明し終わる知識をいったいどれほどの苦労をして手に入れたか、それは自分しか知らない。周りに聞ける人がおらず、何から何までひとりで築いてきた人にはわしの悔しい思いはわかってもらえることだろう。

自分では大した努力もせず、すぐに人を頼ってくる輩は他人の時間、相手にとっての価値などという事に全く考えが及んでいない無神経野郎なのだ。
それでも答えてやらねばならない時がある。憤懣やるかたなし。
言ってもよかですか、「ふぁっきなすほ〜、ごっだ〜むぬ、ぶるしっ!」

失礼しましたー。

所変われば・・・

東京ラーメンはマズイと。うん。わしが思うにあれは「別の喰い物」と認識すべきである。

考えてもごらんよ、博多・筑豊・久留米・北熊本という狭いエリアで比べただけでもそれぞれのラーメンの味は大きく異なるノダ。南熊本の人間が北熊本に来ていて「こっちのはまずくて喰えない」と言うのを聞いたこともある。

ラーメンではないが、京都で「長崎ちゃんぽん」を注文したら醤油味の沈んだ具や麺が見えるスープで出てきてビックリした。「何じゃコリャ、これのどこが長崎ちゃんぽんなんだ!」といったら厨房からギヌロと睨まれたのを憶えている。

ラーメンの味は方言と同じくらいに土地土地で違うようである。同じ佐賀弁でも鳥栖と神埼平野部と神埼山間部では違う。そこまでいかずとも美味しいラーメンの定義は緯度と経度で微妙にずれていくんではなかろうか。

九州でもロイヤルで「パーコー麺」ってのを頼むと東京ラーメンみたいなのが出てくる。それが好きな人もいる。東京では九州ラーメンは「ドロドロして気味悪い」と不評だが、それでも名前の変わったうまかっちゃんがスーパーで売られたりしている。つまりは自分なりの概念とのせめぎあいなのだ。

まあ。マズイ店はどこに行ってもマズイがね。

真理

とある友人との会話
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>おいがせんばならすったい。ゅん子もおるし、出来ろうや。
おいがしてもよかですけどね。2日あればできると思いますし。
>カヌーもつくらんばし
うむうむ。
>キャンプも行かんばし
うむうむ。
>キスつりもしーずんやし
それ僕は関係ない。
>パダワンもおしえんばし
なんですか?
>息子1はニート予備軍やし
おい実ニートですし。
>息子2は野球で泥だらけやし
洗濯機いれる。
>庭の雑草抜かんばし
吸ったら死ぬような強烈な除草剤をまく。
>犬のウンコかたずけんばし
自分のことは自分でさせんばいかんですよ。
>ヨメはビールばっか飲みよるし
アル中?
>ムスメは浪人でデブちゃんやし
もう働いたがよかでしょ。
>BLOGも書かんばし
そいは書いてください。5分で。
>あ、そうそう。普通の仕事もあった。
それはやってください。
>これは・・・充実していると言えるのか?
>単に未消化のモノを沢山抱え込んでいるだけか?
動けば前者、動かなければ後者です。
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確かに。

好きになったらイカン

とあるナスの卵(バレバレ)にもした話なんですが、のほほんITにトラバ。

>やっぱ告白しちゃいかんでしょ。
>相手はすごい困るよな。
>相手の事を考えると告白しちゃいかんのかも。

そうそう。「人を好きになるということは相手の人生に関わること
なんである。好きになる方は成就しなくて苦しんでもテメエのせいなんだからまあいいが、好かれる方にも少なからず影響があるってもんです。

AがBにコクられてゴメンナサイを言うとき
相手の傷をおもんばかることがAの記憶にチクッと切ないトゲとして残るのである。

【ありがちパターン】
「きゃほーい、私(俺)ってもてるんだぁ」程度のことしか思わないコドモが多いが論外。悪い気はしないだろうが思考ゼロ。
「あんたなんかに好かれてメーワクよ」などと思うのは人間とは言い難い。何様?
「つきまとわれたりせんやろか、コワイ」→事件も多いですからねぇ。
「好きになってくれたんやから、あんまり気に入らんけどまあ付き合うか」→これ罪。双方にとってよくないコトが待ち受けているケース多々。

もっとヒドイのもあるやろけど、そういうケダモノ界の恋愛はわからんので・・・。

本当にすまない気持でゴメンナサイを言うならばAはBという人格と真剣に対峙していると言えようか。そうできるAのココロにはトゲが残り、何だかいつまでも憶えているのである。

故に簡単にヒトを好きになったらイカン!気安くコクってもコクられてもイカン!
イカンったらイカン!メールでコクるなんてふざけるな!
ナンパ目的なら「これは単なる肉欲です」とプラカードを首から下げよう。
お金目的なら専業になって社会貢献(犯罪の低減)しよう。

TVでの公開恋愛ごっこに感情移入して遊ぶ程度がヨカですな。

生きるってこと

生きるって事は喰らうこと
生きるって事は汚いこと
喜怒哀楽はいきていてこそ

子供の頃から可愛がって(いじくりまわして)くれていた叔父が亡くなった。長らくの闘病生活に終止符が打たれた。湿っぽくならないよう、わしの唯一の特技、連発オヤジギャグで楽しい葬式にはしたけれど、それでもさすがに棺桶に花を入れながら泣けた。星飛雄馬泣き。

久しぶりに会った従兄弟達はそれぞれ親になり、見知らぬ子供を抱いている。
死ぬことと新しい命の成長の対比。
まだ生きている母親も叔父、叔母たちも老けた。女優のように美しかった叔母も、子供心にドキドキした叔父の嫁さんも、知的でやさしかった知人の方も皆、人生と年齢に汚れた。

健常と病気はすぐにも入れ替わってしまうことだろう。
明日も健常でいられる保証などどこにもない。わしにも、家内にも、子供達にさえも。

「ちん」と冷たい額に触れるとき、自分の体温を悟る。
今日の健康に感謝することにする。生きていることに感謝する。
つらい状況に置かれてしまった方に憐憫の感情もあるが、それぞれの命を精一杯燃やそうではないか。明かりのあるうちに生を楽しめ。きっと何かの意味があるはずなのだ。そうでなくてはならない。

そうかもしれないと思える

先の記事を書いた後で幾つかのTBを頂いた。TB元を訪問させてもらい、たどって行くとそこには興味深いサイトが・・・。

「全ては地球温暖化が近い将来冷却化に向かうことを見据えた米国の国策」とする記事を目にしました。サウジだけで十分なはずの石油をさらに欲しがっているのはイラク、イランまでも手に入れておかないと将来生き残っていくためには不足するという見通しを確信したからだというのです。数々のテロは米国が軍事行動を起こすためのきっかけ作りとして自ら脚本演出したもので、ウサマ・ビンラディン、サダム・フセイン等はその主演男優にすぎないと。9・11の現場状況にも不信な点が幾つもあるということで、この説は他のいろいろな米国の動きや藪男くんの態度に何ともつじつまが合ってしまうのです。むむむ・・・

起きるべくして

やっぱり起きてしまったロンドンでの同時多発テロ。実行側を擁護するのではないが起きるべくして起きたものだと思う。私の予想では9/11の後の短い期間に世界同時多発もありうると考えていたので、それよりかはじっくりペースで進められている。彼ら(アルカイーダ?)の目的は殺傷でもなく利権でも覇権でもなく、復讐自分達の文化圏に干渉しないで欲しいというメッセージだろう。

藪男くんのオヤジも相当馬鹿だったのだが、それでも補佐役から「アラブのことはそのままに」と忠告され、湾岸から引いた。息子の藪男くんもそれを教わったはずだが、この藪男くんはオヤジの3倍くらい馬鹿なので油商人や銃商人、飛行機屋、車屋、船大工、電算屋etcetcの連中(軍産複合体=ミリタリ・インダストリ・コンプレックスと申す)にいいように操られてヤッチャッタ。まあ、言うこと聞かないと衆目の面前で脳味噌吹き飛ばされるお国柄だからビビってしまうのもわかるけど、もう少し言い様やり様があると思う。ただ単に「危なかもんバ持っとるろ〜?」とか自分の事は棚に上げて因縁吹っかけ、冷静な友達や先が見通せる友達の反対を押し切ってヤッチャッタのだ。昔からこんなことばかり繰り返した結果がSFX映画のワンシーンのようだった双子高層ビルの崩落とか血と肉片まみれの2階建てバスという惨状の現出なのだ。

「目には目を歯には歯を」というハンムラビの考え方を小学校の社会科で習わなかったのだろうか?今もそれがDNAとして中東の民に生き続けていることを察知できないのだろうか?自国の文化が他国によって無理矢理塗り替えられることに対抗したい気持を理解出来ないのだろうか?

何故このようなテロが起きるのか、どうしたら無辜が犠牲になる悲惨な事態を回避できるのか、アングロサクソンはもうちょっと真面目に(謙虚に)考えて、それに追従せんとする黄色いバナナ(アメリカ人になりたい日本人のことです)は停止している脳味噌を起動しなくてはならない。英米とそれに賛同する国家は今後も攻撃を受けることは免れまい。

ジュニチローくん、ヘイゾーくん、サマーワでいっぱい死ぬよ。羽田や成田でいっぱい死ぬよ。あんたらは首尾一貫して間違ごうとるわ。

自分がわかった!

何故だか知らんが細木●子って人を見ると嫌悪感があった。今わかった。昔放映されてた「レインボーマン」に出てくる、汚い毒液を吐く肥えたオバサン怪人にそっくりなのだ!
 
あぁねぇ。だからかぁ。単に独善的な低質パフォーマーだからじゃなかったんだぁ。ナットク(さんま調)
『2006.12追記 その後、細木氏については多少好感度があがりますた。日本人のあるべきマトモな姿について相手が誰であっても正論を吐き続ける、という姿勢は貴重でしょう。』
 
ところで詳細を忘れていた歌詞をしっかり紹介してくれているサイトがあった。
♪黄色いブタめをやっつけろ♪金で心を汚してしまえ
なんてくだりは今の日本人が皆ドキリとするんではなかろうか。
尤も「汚れた心」になるとわからんようになるらしいからなあ。
国の舵取りする立場に居ながら私腹を肥やす売国奴とか
体売ってまでブランドもの欲しがる馬鹿娘にもわからんやろうなあ。
ちなみにわしの携帯着信音は♪印度の山奥で♪である。

七夕の夜

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一年に一度だけ、もし晴れていたら会えるなんて、昔のヒトは随分とロマンチックな発想をしたもんだね。「地域でちゃうやん!」とか野暮なツッコミは入れずに素直な気分で年いちの夜を味わいたいものです。
 
福岡からこちらに移り住んだときには星が明るく、はっきりと、たくさん見えることに感動していたのを思い出しました。天の川が、銀河の腕がこんなにはっきり見てとれるなんて少年の時以来でしたから。犬を用足しに連れて出た初夏の夜、眼前をやさしい青緑の光点がゆっくりと横切る。早朝の空気が修学旅行の高原のそれとおなじ匂いがしたりして・・・。
 
東京だって町の明かりを消してしまえばこんなにたくさんの星が見られるんだよっていう映画があったように思いますが、科学技術の進歩と近代文明の浸透、そして(物質的に)豊かになるということで私たちは星があることさえ忘れて生活する。織姫と彦星、そんな情感あふれる世界をも実感のない単なるものがたりにしてしまいがちである。ココロ貧しいよなあ。
 
「我々はお湯と一緒に赤ン坊を流してしまったのではないか」
・・・私の好きな小説家が書いたコトバですが人間の利便性や快適・清潔な生活と引き替えに数多くの動植物、鳥獣虫魚(=自然)を根絶やしにしてしまったことを喚起する、彼の怒りと悲しみ、後悔、焦燥、懺悔に満ちたコトバとしてとらえています。
 
星が見えなくなり(日常意識から消え)
蛍やカブト虫が珍しいものとなり(ムシキングだぁ?)
生きている魚は水槽の中のもの(骨抜き魚ってアンタ、スーパーの切り身は奇形魚混じりとも知らずに)
牛に牛を喰わせたあげくこちらが危ない(昔から米企業のゴミを買わされてばかり)
クルマや装身に全自己存在をかけ(だから何だっちゅうの!)
官民なべて拝金主義(政府が売国)
その場の快楽と哄笑に経済が集まる(民度低っ)
歪んだ社会問題は先延べそして強制分担か(逃げるなよっ)
卑しき独裁小国にひるみ傍若無人の大国にへつらう(ただ生き延びることのみが国益か)
理想無き(亡き)思考なき覚悟なき責任なき気概なき民よ
いったいどこへ流れていくつもりなのか
それさえ想うことを忘れてしまったのか(心を亡くす文字通り)
何のために生を受け、死んでいくのか(生まれて生きて死ぬるだけ)
多くの犠牲を気づくこともなく
 
>短冊に願い事、今なら何を書くだろう・・・
>・・・睡眠時間4時間くらいで回復する体が欲しい、とか。
>梅雨が早く明けてください、とか。
今気がかりなことと言えばやっぱり子供のことかな。親だもの。
「民が正気になりますように」とわしなら書きたい。
雨が降らなきゃタイ産米喰って風呂我慢だよ。

息子サンのこと2

親がやかましく言わないようになったので少しはラクになったようです。でも言われないことをいいことにぶったるんでる様子。わしは知らんぷり、というか見るともなしに見る、ときたまボソリ・・・。ぐらいでやってますが、毎日起こして食事をさせ、弁当を作り、洗濯した服を着せ、定刻の電車に乗せなくてはならない彼の母親はそうもいかない様で気の毒です。

彼の姉が残していったくだらない(と大人は思う)マンガ本や小説(どれも幼稚なファンタジーものばかりで得るとこなさそう、というか現実逃避癖が心配)よりもマシだろうと簡単なプログラミング言語を与えてみたら結構ハマッたようです。

「勉強する意味がわからん」というのが彼の言葉なのですが学業成績がイイとか、順位がどうだとか、どこそこの学校に上がるとかは確かに教師や親の求めるごく一面的な結果事象でしかなく、彼自身の思う価値ではないでしょう。そう考えると言われるままに頑張ってそれなりの成績を提示した姉はバカなのか?否。子供はひとりひとり違うくさ。

idaやんの言うようにメシ喰えるようになりゃ何でもよかろう。喰えるようになって欲しいもんだ。

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↓これをプチするとね、凄いことに別段世の中は変わりません
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