2008年09月

投手カワイソス。ワンちゃんカワイソス。

和田毅くん、頑張ったのに…。どんな素晴らしい投手が絶好調のときであっても失投がたった一球あったり、出会い頭の一発を食らうなんてことは当然ある。我が息子も一応投手やってるので「打線の援護がない」とか「守備のミス」で力投が報われない投手の無念さはひしひしと伝わるのである。
(力関係や金銭欲に操られたインチキ判定で“負けさせられる”のはその500倍位悔しいんだけどね〜)

一時期はにわか鷹ファンで、球場にも行ったしTV放映は欠かさず見ていたものだが王監督引退のシーズンに何だこの成績は…こんなに打てないホークスにはじれったくて歯がゆくて、たまにつけたTVもすぐ消してしまう。

前は強かったよなあ…6点くらい負けてても「なぁに、取り返すさ」と安心して見ていられたし、事実そんな試合たくさんあったもんなぁ。オリックス相手に30点近くとっちゃった漫画みたいな試合もあったなぁ…

柴原、村松、井口、松中、小久保、城島、ズレータ、バルデス、そして秋山…。工藤、篠原、若田部、星野、永井、ペドラザ、三瀬…。大道も坊西も輝いたなあ…(そしてわしはどんどん懐古趣味のおじいさんみたくなって行きましたとさ。でめたしでめたし。)

インカ帝国の音楽!?

知人のアクセサリアーチスト(レジン工芸・彫金)が最近インカ帝国の音楽をやってる人達との活動を始めたと聞いた。
う〜ん、スペイン人達に滅ぼされた文明のカケラか。これもロマンやね〜。
サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んで行く』みたいなのやろか・・・。
遺跡発掘現場から当時のCDが発見された・・・んなわけないし。
ウィキペディア読むと何故か笑います。

バイクに乗り続けることを誇りに思う−12−

西新を発ち、誠志郎の家

偶像

去年の正月、初めての同窓会が開かれて37年前の級友達と会った。そこでの記憶が今頃になって文を書かせる。

人間というやつは心の弱さからか、コンプレックスの裏返しからなのか、理由はよくわからないが偶像(あるいはスター)を作り、崇拝したがる。

当時から背が高く、運動神経がよく、勉強もデキた"イワサキ"はどこか冷たい感じのする美人で、黙っていても目立ち、例に漏れず男子(および女子)たちの憧れであり、嫉妬の対象だったようだ。わしが仲良くしていたK子の友人であり、イワサキとK子とあとマロ(だったか?)がその学年の男達に特別扱いされるマドンナ3人娘だったように思う。わしとK子とは小学校も違い、中2までは別のクラスだったので面識はなかったが、3人娘の存在は1年生のころから他のクラスにも知れていたように覚える。中2でK子と同じクラスになり、急速に親密になったので自然、イワサキやマロとも接近遭遇するようになったのだが直接に話したことは殆どない。実のところ当時のわしはツンと澄ました感じのするイワサキがどこか好かないと思う少年だったのである。

37年を経て会ったイワサキは黒いパンツスーツに身を包み、ショートカット。宝塚の男役のように颯爽としていて、立ち振る舞いもキビキビと美しい。だらしなく年をとって膨らんでしまった周りのおばはん共と同じ種類の人間とは思えなかった。「やっぱりこの人間は特別だったんだ」と驚いた。

会を主催する側の立場にいたので忙しく動き回っていたが、時間ができるとわしのところにやってきて、当時の懐かしい話や過去現在の共通話題であるK子の話をする。親友K子の一応モトカレ(w)なので気を使ってくれたのであろうが、よく考えてみれば、この同窓会にいるということは同じ小学校だったんだ・・・何だ、小学校から知っていたわけか。しかし昔に直接話した記憶はほとんどない、もしかしたらこの日が初めてかもしれないとさえ思う。

小5でこの地に転校してきて中2で他所に出て行ったジプシーのようなわしは、この会に来ている連中の記憶には薄いはずだ。「誰?」と聞かれて「松蔭だ」と答えると半分以上は「あぁ〜ん、松蔭ね」と言いながら、すぐにさっきまでの話題に戻っていく。わしの親が転勤族だったので、長らく一緒に記憶を共有する連中が集まる時、この様なの会では、わしはぽつんと一人になってしまいやすいのだ。それがわかっているので本当はそんなに来たいと思って参加した会ではない。「ああ、またかよ。」わしは自分から「ボク、寂しいよぅ。混ぜて混ぜて〜」などとやるほうでもないから、この日イワサキが話しに来てくれたのは助かった。同窓会でぽつんと孤独に身を置くなんて寂しいもんだ。ふん、平気だけどね。

イワサキは連れ(夫?)と同時刻何か別の場でやっていることにもいそがしいらしくお開きを待たずに去って行った。
「まわりが、勝手に、祀り上げてしまうから・・・」話のなかでぽつりとつぶやいた。この人はきっと子供の頃からずっと意図せずとも、どこに行ってもスターだったのだろう。そして、それがイヤでたまらなかったのだろう。この人も端目には華やかでいながら「ワタシは本当はそんなんじゃないのに」と孤独に身を置いてきたのかもしれないと思う。








「なぁんもナカ」ちゃ、なんか!

「最新の」とか「トレンド」とか、生きることに左程影響しないような楽しみだけの為に行う消費(浪費とも言うネ)。自分があたかも裕福で御洒落な雰囲気をまとったかのような錯覚を与える場所(あんたはどがんしたちゃあんたタイね)、その場限りの泡のような娯楽を求めたり、といった需要を満たす。これは田舎ではなかなか難しいのは確かだろう。
商業施設やいろんな集客設備を維持するには莫大な費用がかかり、客と地元とで分担しなきゃならんのだから人口が少ないところでは所詮無理なんである。田舎が一生懸命都会の真似をしてもどうせ中途半端なものしか出来ずに赤字垂れ流しの頭痛のタネを増やすだけだ。
いちかばちかの大博打に出れるような体力をもつ自治体は、もう地方には存在しまい。相も変わらず70年代的やり方で(自分達だけの)儲けの構造を作ろうとするお馬鹿な役人&政治家&「お主も悪よのう」業者はいるようだが、そんなものの存在をいつまでも許す選挙民のアホさ加減と、役目を忘れて情報フィルタリングにいそしむマスゴミもまた許しがたい。子々孫々にわたる借金を勝手にこさえて負担をかけるのはヤメていただきたいもんですな。原因を作っているあんた達の一族で払いなさい。

確かに佐賀というところは在都会的な嗜好・志向の意味、消費そのものを娯楽とするような意味では「なぁんもナカ」かもしれん。が、しかし、ここ最近わしのやってる仕事を通じて思うのは「面白いじゃないか、佐賀」ということなのである。

「なぁんもナカ」というのは説明を面倒臭がって、サボッてる人の言葉である。あるいはまごうことなき田舎モンなのにそれを恥ずかしがって、「街んヒト」の都会的価値観に迎合した立場から自嘲しているだけのことである。謙遜は日本人の美徳かもしれんが自嘲や自虐は違うですばぁい。

自分の(土地)のことをあれこれ喧伝するとは恥ずべきことでなくやるべきことでっしょうもんが。胸を張って街んヒト達に「こがんとのあっよ」とPRいたしましょう。

・・・これってもしかして郷土愛?
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↓これをプチするとね、凄いことに別段世の中は変わりません
ジモモ佐賀
Yoshida Tadashi

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