2011年10月

復活の日

ラジエター新品交換。LLC交換。以上。

・・・よかった。エンジンは無事だったようだ。
考えられる最低損害&費用で済んだのではなかろうか。

もう製造されないリトラクタブルライト、レーサーと同様の
ホイールアライメント、サスペンション形式。
現在に比べ、まだいろいろな基準がアマい頃の
ライトウェイトスポーツ、車重960kg。
燃費や安全性・快適性、環境性能などに
縛られた今出来の車にはない、乗る楽しみ。
そう、Fun to Drive (メーカー違うが)

そう言えば末息子はもう17歳である。

ああ〜、おシャカ?

帰宅途中、聞きなれないカラカラ異音&ヘンな臭い。

直後に息子が「煙出よらん?」と言う。

「え?あ?」

水温計がHを振り切っているではないか。
直ちに停車してボンネットを開けると
「しゅ〜」といいながらラジエター脇から湯気が上がる。

昔の映画そのままのオーバーヒート。。。

とりあえずうどん屋さんの駐車場に停めさせてもらい
家人にそこまで迎えにくるよう電話をする。
直らなかったどうしよう。明日からの足どうしよう。
困るー。頼むからもうあとしばらく生きていてくれ。

今春車検通したばかり、車税は滞納中なのだ。

しゃあないわな

日夜野球と勉学にいそしむ息子であるが
1年生のときこてんぱんにやられてしまい、
数ヶ月もスランプに陥ったことがある。

そのときはあまり調子も良くなかったようであったが
投げ負け、かつ、満塁ホームランまで浴びて
自分がまったく通用しないという初めての体験。

心に何らかの傷を負ってしまったのだろう、
その後の試合でマウンドにあがっても自ら降りてしまうことを
何度か繰り返し、「投げれない病」になったようである。
(今はもう回復、出番こそ減ったが今夏二安打完封もあったくらい)

ホームランを打ったのは投打こなす相手投手君。
その相手とはこの子でなんである。にゃにい?ソフトバンク1位指名だあ?

んん〜、息子よ。まあ、こりゃ、しゃあないわな。

久々のコーディング仕事

ひろむちゃんから久々の「作って」依頼。

待って待ってやっとのサイトリニューアルだ。
頑張ってきっちりばっちり作ろうと思う。

「納期は?」と聞いたら、「できあがりしこ」とのお返事で
こんなお客さんばかりならイイね、と思う。

「教える事は2度学ぶ事なり」とかなんとか昔聞いたが
生徒衆に教えている毎日の中で、
またわしは若干パワーアップしてるとの自覚あり。

くよくよばかりしてられない。
♪ソレは良い事だろ?

病院に行け!

わしの身を心配してくれて皆がそう言う。
・・・ありがとう。時期がきたらそうするよ。

仕事しないで済む状況なら、経済的余裕があったなら
なんの予備知識もなく病院にかかり、
医師の計画どおりに諾々と従ったことだろう。
そうしていたことを想像すると・・・ああ、怖っ!

時期が到来していない今の時間
わしは知識を詰め込むことができる。
必死で情報収集し、どう対峙するかを考え、
お任せコースに載せられないように理論武装をする。
今では病院に行けないこの状況に感謝さえしている。

製薬会社−大学病院・大病院−厚生労働省という
関係の中にある薬の許認可、健康保険適用範囲
それらにまつわる利権とか不条理な医療の実態とか
病そのものの特質とかクスリのこと、こちら側のなすべきこと等・・・

ほとんど大部分の人がお任せコースに載せられて
大金を支払った上に地獄の苦しみを味わい
僅かにロスタイムを与えられるか、あるいは逸見や梨本のように
本来の試合終了以前にヤられてしまうらしいではないか。
自分の身(生き方及び死に方)は自分で守らねばならないのだと。

極々少数の幸運な離脱成功者になりたいのだ。
(彼らはおおらかな、能天気な性格の人であるという)
あきらめてもいないし、放り出してもいない。蒔けない、品ない。

案じてくれている人たちの為にそう明言しておく。

残虐な獣

なんだそうだ。ふん、てなずけてやるわい。

早いか遅いかだけで、みんないずれ向こう側へ渡るとやけん。
遅い(長い)けん幸せなわけじゃあるまいし。
「生きるのは苦痛」と感じながらの長い生より、
鮮明に思い出せる輝く時間がいくつか(できれば多く)もてたほうが良くね?
そうすることにしよう。

俺はしがみつかないよ。簡単には渡らんけどね。

五十肩

最初は右肩。2007年頃だったろうか。よく覚えてもいない。
ケンイチから「ああ、肩関節炎症。いわゆる五十肩だあ。」と言われ、医者にも見せず、「ほっとけば治りますよ」という央麻さんの言葉どおりにいつの間にか治っていた。

そして左肩。寝返りをうつときの激痛で夜中に目が覚めること数度。
前回より強い痛み。その頃ちょうど右太腿の外側が突っ張ったように痺れたり、頸も痛かったので鍼灸院に行った。坐骨神経痛と頚椎ヘルニアかと疑う。「お勧めの整形外科は?」と聞くと佐藤整形を告げられたのでかかることにする。

実はわかっていたのだね

五十肩のことを書こうと思って以前の記事を探して見ていたら
なんと・・・
2008年2月に自分で書いているではないか。すっかり忘れてしまっていたのだ。

少なくとも3年半前にはヤバい自覚症状があったのである。
ここで疑っていたらそれは早期発見であったに違いない。

一時的に腸壁かのどこかが爛れていて、そしてスグにも直ったのだと
そのときはきっとそう思ったのであろう。うかつにも。

その後世知原クリニックで身体を精査してもらったときには
腸だけは調べなかったのだ・・・運命ってやつはときにこんな罠をしかけてくるらしい。

おぉまいがぁー

あれは何だったのか

思えばあの日、身体のなかで何かが瓦解したのではないか。
今となってそんな気がするのだ。

決壊・・・といったような状況ではなかったのか。

あの日とはこの日

夕方思うこと

ほとんど毎日絶望的な気持ちで帰路につく。

痛覚がない筈の腸が痛み(ステージ4?)
それに伴う腰痛。
ひどい日もあれば、少しは軽い日も。

駐車場までの短い距離を進む足はどうもまっすぐではないようだ。
「水郷」と呼ばれるこの地の名物クリークに転落したのではシャレにもならないなどと考える。

意識が少しぼんやりしているのがわかる。
・・・運転は大丈夫そうだ。
どしんっとシートに身体を預ける。

日が短くなり、あたりはすでに暗い。季節が進んだので
平野部でちょうど落日を見ながら走るというタイミングにはもう出くわさない。
落日を人生の終焉にたとえるのは我らのセンセイがよく書いていたな。
だから真っ赤な空を美しいとだけの思いで見ることはできないのだ。

帰路がまだ明るいころ珍しい虹に何度か遭遇した。
ナントカの土産のような気がした。

家族に、兄に、後を託す友人達に話さなくては、と思う。
いちばん話さなくてはならないアイツに・・・きっと今日も話せない。

涙は不思議と出ない。
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