217c45e4.jpg
一年に一度だけ、もし晴れていたら会えるなんて、昔のヒトは随分とロマンチックな発想をしたもんだね。「地域でちゃうやん!」とか野暮なツッコミは入れずに素直な気分で年いちの夜を味わいたいものです。
 
福岡からこちらに移り住んだときには星が明るく、はっきりと、たくさん見えることに感動していたのを思い出しました。天の川が、銀河の腕がこんなにはっきり見てとれるなんて少年の時以来でしたから。犬を用足しに連れて出た初夏の夜、眼前をやさしい青緑の光点がゆっくりと横切る。早朝の空気が修学旅行の高原のそれとおなじ匂いがしたりして・・・。
 
東京だって町の明かりを消してしまえばこんなにたくさんの星が見られるんだよっていう映画があったように思いますが、科学技術の進歩と近代文明の浸透、そして(物質的に)豊かになるということで私たちは星があることさえ忘れて生活する。織姫と彦星、そんな情感あふれる世界をも実感のない単なるものがたりにしてしまいがちである。ココロ貧しいよなあ。
 
「我々はお湯と一緒に赤ン坊を流してしまったのではないか」
・・・私の好きな小説家が書いたコトバですが人間の利便性や快適・清潔な生活と引き替えに数多くの動植物、鳥獣虫魚(=自然)を根絶やしにしてしまったことを喚起する、彼の怒りと悲しみ、後悔、焦燥、懺悔に満ちたコトバとしてとらえています。
 
星が見えなくなり(日常意識から消え)
蛍やカブト虫が珍しいものとなり(ムシキングだぁ?)
生きている魚は水槽の中のもの(骨抜き魚ってアンタ、スーパーの切り身は奇形魚混じりとも知らずに)
牛に牛を喰わせたあげくこちらが危ない(昔から米企業のゴミを買わされてばかり)
クルマや装身に全自己存在をかけ(だから何だっちゅうの!)
官民なべて拝金主義(政府が売国)
その場の快楽と哄笑に経済が集まる(民度低っ)
歪んだ社会問題は先延べそして強制分担か(逃げるなよっ)
卑しき独裁小国にひるみ傍若無人の大国にへつらう(ただ生き延びることのみが国益か)
理想無き(亡き)思考なき覚悟なき責任なき気概なき民よ
いったいどこへ流れていくつもりなのか
それさえ想うことを忘れてしまったのか(心を亡くす文字通り)
何のために生を受け、死んでいくのか(生まれて生きて死ぬるだけ)
多くの犠牲を気づくこともなく
 
>短冊に願い事、今なら何を書くだろう・・・
>・・・睡眠時間4時間くらいで回復する体が欲しい、とか。
>梅雨が早く明けてください、とか。
今気がかりなことと言えばやっぱり子供のことかな。親だもの。
「民が正気になりますように」とわしなら書きたい。
雨が降らなきゃタイ産米喰って風呂我慢だよ。