生きるって事は喰らうこと
生きるって事は汚いこと
喜怒哀楽はいきていてこそ

子供の頃から可愛がって(いじくりまわして)くれていた叔父が亡くなった。長らくの闘病生活に終止符が打たれた。湿っぽくならないよう、わしの唯一の特技、連発オヤジギャグで楽しい葬式にはしたけれど、それでもさすがに棺桶に花を入れながら泣けた。星飛雄馬泣き。

久しぶりに会った従兄弟達はそれぞれ親になり、見知らぬ子供を抱いている。
死ぬことと新しい命の成長の対比。
まだ生きている母親も叔父、叔母たちも老けた。女優のように美しかった叔母も、子供心にドキドキした叔父の嫁さんも、知的でやさしかった知人の方も皆、人生と年齢に汚れた。

健常と病気はすぐにも入れ替わってしまうことだろう。
明日も健常でいられる保証などどこにもない。わしにも、家内にも、子供達にさえも。

「ちん」と冷たい額に触れるとき、自分の体温を悟る。
今日の健康に感謝することにする。生きていることに感謝する。
つらい状況に置かれてしまった方に憐憫の感情もあるが、それぞれの命を精一杯燃やそうではないか。明かりのあるうちに生を楽しめ。きっと何かの意味があるはずなのだ。そうでなくてはならない。