とてもプライベートなことで、誰に読んで欲しいわけでもないから非公開でもいいんだ。でも「読まれるかも」で書かないと文が乱れるからね。

今日は人生にもそう何度とはないと思われる程エポックメーキングな日で、阪神大震災以来音信の途絶えた中学校の同級生(こちらは勝手に彼女と思い込んでたガネ)から突然メールを受信した。死んじゃったんではないだろか・・・と思っていただけに、また、こちらも隣県に引っ越していたので連絡など普通とれるわきゃないんだ。

何かのTV番組(いいともではありんせん)に出てたのをたまたまお母さんが見ていらして、「日本のどの辺に住んでる」からつきとめてくれたらしい。っもう、TVきっかけにインターネットでヒットなんて現代に生きてて感謝だよな。ネットの普及に活躍してくれた方々に本当にありがとうと言いたい。世代的にはSNSなんかしない人が多いのでそれを考えるとこんなことは奇跡のような気がする。

学校で一緒だったのは1年強だったと思う。2年生になって顔ぶれの変わったばかりの教室で掃除時間に中2コースを読んでいたわしの尻を箒で叩き「あんた、掃除せんかね!」と怒る女がいる。「なんだ?こいつは」と思ったが彼女とは一緒の班になり、いつも顔を突き合わせることとなる。子供の頃からヘンテコな絵を描いていたがあるとき彼女がそれを見て爆笑、次第に打ち解けていった。

得意だった理科を家に教えに行ったり、校則破って一緒に映画見に行ったり・・・九州に引っ越してからも電車で何回か会いに行ったし、インターハイの北九州大会でも会えたし(向こうはハンドボール、こっちは体操ね)、その後福岡に一度だけきてくれたこともあった。学生のとき初めてのバイクツーリングでちょい寄りしてお母さんからお金をもらい、当惑したこともあったっけ・・・。

結婚してからもバイクでたち寄ったことがあってそのときには会えなかったものの彼女にそっくりの息子がいて涙が出る程懐かしく、同時に時間の流れを実感したのを覚えている。

家内がこれを読んだらきっと妬いてくれるかもしれない。思えばそのくらい縁が深い、繰り返しいつも思い出す相手だった。夏と正月、定期的に手製の版画の葉書を寄こしてくれていたのだが、最初に書いたようにぱったりととぎれた・・・。

「もしかして震災で・・・?でも可能性がある・・・」実家に確認すれば済む事なのに「もしそうだったらどうしよう、家族の悲しみに追いうちすることになる」と思うと電話する勇気が出なかったのだ。

それからたくさんの水が川を流れた。我々は10年前この地を踏むことになり、彼女のことは小さな棘としてわしの胸の奥隅にひっそりとしていた。

わしの娘は最後に見た彼女の年齢を追い越し、家内が家内となった年齢にさえ近づこうとしている。わしの人生は今ここにある。だけれども切れてしまって当然のような人間関係が別々の人生として並行するようにこうして再びまみえたのだ。まるで見えない力か糸かで引っ張られるように・・・こんなことだってあるから人生なのだ。

中学校は2校の小学校区から合わさったもので、彼女は他校から来た。にもかかわらず、わしの小学校の同窓会開催を聞きつけ、知らせてくれようとしたのだった。聞けば、わしと会える状況ではないという。会おうと欲して連絡してきたのではなかろう。

前にもここに書いた
「生まれるのは偶然、生きるのは苦痛、死ぬのは億劫」
そうじゃないさ、と思わせる今日は価値ある日だったのだろう。