わしの知人の放置BLOGは、日常のことをちょっと書くだけのものだ。少しだけ馬鹿ばかしく、おかしく書いたりもするが、いずれにせよたいした内容もない泡のような独り言である。だが、そこに時々何かが書かれると、とっつきやすい人柄が文体にも出ているのか、不思議に受けている。


その現象が面白いと感じてそこに集まる人々をわしはウォッチングするのだが、こんなものにハマる人々のどうやら半数以上はよっぽど退屈しているか淋しいか、何かしら病んでいるように見えるのだ。ときには重大な人格的欠陥を抱えて崩壊しつつあるようにさえ見える人もある。

かかわり方のひとつとしては大人の知的な遊び、電脳社交場と定義して一定の距離をおきつつ楽しむべき、と思っていたのだが、わしなりのウォッチングでは踏み外しているのでは?と、首を傾げざるを得ないケースも多く見うけられる。

・自己顕示欲から虚偽の被害者を自作自演して注目をひこうとする者
・ネットの世界での顔のない人間関係と現実の人間関係との区別がつかなくなった者
・直接の関わりに移行したがり、その中で思い込みの敵味方を作り、自ら崩壊していく者
・さんざんあちこちに顔を出したあげくコメントとコメント返しをすることに疲れ、重荷になって閉鎖する者
・自分エンタメを周囲から期待されてると思い込み膨大な時間と精力を注ぎ込んだあげくにやはり疲れてしまい、重荷になって閉鎖する者
・キレイな褒め言葉ばかりをお互いに書きあい、傷を舐めあっているだけの薄ら寒い関係に癒される者
・愚痴をこぼし合い、慰めあい・・・(前項同様)

他にもたくさんあるが、どうも大人の社交場としてそこに関わるにはそれなりの資質が要るように思う。資質を欠いたままの存在ばかりでは場を荒らし、結果的には他者も自分も傷つけてしまうようだ。

BLOGが日本で始まった年に内容を調査した機関があって「6%程度は質の高い情報が見られる」ということであった。ということは94%はクソBLOGということでもある。(わしんとこもそっちか!?)意味のないコメントのやりとりなどに熱中するよりはもっと有用に使いたいものである。