時計屋さん「和光堂」の社長さんな英国の旧車を集めんさっとが趣味で、車の置き場に困りんさったぎ山のふもとにあるお茶工場(?)の跡地を買い取りんさった。くーふとか建屋の半分ば人い貸すごとして、そん相手さんは三瀬の芸術家グループの人たちにしたげな。
昨日も社長さんにつんのうて行ったとばってんが芸術家グループのリーフレットば見るぎ、そこには見覚えのある名前が・・・

「こん人のお父さんて、もしかして寺田先生?」

おい(一人称単数です)の親父は生前福岡のM新聞文化センターの主事ばしよって、おいもバイトてん小遣いせびりてん(あー、そういやビルの上の方に歯科衛生士の彼女のおったこともあった。30年ぶりぃ思い出したやんね)とにかく文化センターに出入りしよった時期のあったと。

いろんな教室んなかに絵画教室のあって、そん教室の先生が寺田先生やったさ。親父とは個人的にも仲良かったみたいで何度か自宅にも来んさったごたあ記憶のうすら〜とある。後で息子さん本人に聞いたぎやっぱりそうやった。父親同士が知り合いでそん息子同士が佐賀でまた知り合うてん、奇遇かねえ、ていう話さ。あかすり君、こんど一緒行こ。

アイアンアート作家、寺田太郎氏のページ