2010年12月から始まった職業訓練講師。
佐賀駅前にてWEB制作周辺の講座を行う。
このことはBLOGにもまったく書いていない。
(そんな気力など全く湧かない心身のコンディション)
「これはリハビリである」そう思って始めたくらいのものだ。
心と体にダメージを引き摺ったままのある意味トライでもあった。

勤め人をやめてから10数年、定時に通う苦痛を今また思い出す。
久しく「こちらから用が有る相手」としか会ってなかったので
毎日十人十色の大人数を相手に人疲れしたのも否めない、
だが、同時に、自分の中で永くすぼまり、閉じていたものが
徐々に開かれる感じもあって、あながち悪いものではなかった。
こころの活力を少しずつではあるが取り戻し、自分を奮い立たせる、
そうしたことが我が手に帰ってきたことは大きいことだったと思える。

飲んでいた薬を断ち切ることに成功し、体が戻ると思われた頃、
3月中旬より体調にいろいろな変化が現れ始める。
さまざまな自覚症状。書けばきりが無いほどの変調が訪れる。

寺沼コンビとうまくやれているときには笑いを取り戻した。
はるちゃんには救われた。
家内に毎朝作ってもらう弁当というのも超・久しぶり。
人は、人によってしか助けられないことを実感。
佐賀校の終盤、「次は大牟田を」のオファーがある。
体調はかなり悪化していたが、受けることにする。
脱落1名、退校勧告2名を出しながらも何とか佐賀校終了。

ブランクをおきたくなかったので、大牟田校から
柳川校に希望を変更し、佐賀校の終了翌日から出る。
佐賀校は片道30数分、大牟田校は約1.5時間
柳川校は50分程度の距離、大牟田はさすがに遠い。
きっと体が持たないだろうとの判断は大正解だった。

さて、柳川での講座。人数は佐賀の約2倍の30名弱。
訓練開始より3週間経過した時点でのバトンタッチだったが
まず前任者のずさんな講座内容に愕然とする。
まずまず素人がど素人に余計なことばかりを教え
肝心なところは過ちを教えていたのだ。怒りがこみ上げる。

受講生が教わっていたほぼすべてを否定。いちから積み上げなおす。
「それなら何故最初からそう教えない!」受講生より不満と反発。
当然であろう。講師を信じて一生懸命にやってきた3週間が
ほとんどすべて無駄なものであったことをつきつけられたのだから。

初回の無記名アンケート内容は惨憺たる内容だった。
「辞めて欲しい」「今度の先生無理かも」「圧力がすごい」批判の嵐。
「前の講師がよかった」「講師をコロコロ変えるな」「やる気をなくした」
他にもわしの容姿や態度、喋り方までに猛烈な嫌悪の言葉もある。

「よし、いいだろう。本気でやっちゃる。見とれ。」わしは決意を固めた。
結果は先の投稿に記した通り。

柳川も終わり、しばらくの自宅静養。とはいってもFacebookから始まった別の仕事も
走り始めていたので純然たる静養ではない。兎に角それを区切りまで進めれば
ようやく病院へ行ける、そう思いながらの2週間強を過ごす。少しだけ回復を見る。
朝夕の移動、7コマの講座はやはり相当にキツかったことが思い出される。

ある覚悟と思いを伴う、不安と同居の毎日、それは今も変わらぬが、
こうして一年は過ぎた。去ったものは早く感じる。多くを得、そして、捨てもした。
再確認すること、急ぐこと、噛みしめること、感謝すること、諦めること。
何か今までにない特別な一年であったことは疑いようがない。

2012年、「一日一生」で与えられた時間に意味を込めようと思うのだ。
濃密に生きなければならない。それしかとるべき道はないのだ。