鹿児島市の原良小学校の隣にあった昭和幼稚園に、歩いて、一人でまたは上村卓也とふたりで通っていた。4〜6歳の記憶を辿って今GoogleMapsを見てみると、多分最初頃は城西2丁目20番、後に2番の東の端に移ったのだと思う。
最初の家は古くて大きかったが、間取りなどは流石に思い出せない。
 白黒テレビで観たキングコング・ジュニア(最期は人を救って沼地に沈んでいく)や初期のポパイやニトログリセリンのドラム缶をトラックで運ぶ使命を帯びた日本兵の映画(兵隊やくざ?)、泣いている赤ん坊(弟)の膝にあった真っ赤な楕円形の痣を不思議に思って見つめていたこと、玄関の前に停めてあった親父のオートバイ(多分トーハツ125)が倒れてきて下敷きになり動けなかったところへ、丁度良く飯塚から訪ねてきた叔父の康之さんに救われたこと・・・。そんな記憶が断片的に浮かぶ。

犬が居た。大きなシェパード。母屋とは庭の対角あたりに繋がれ、材木か何かが積んである上に、いつも首を立てて伏せ姿勢をとっていた。仔犬を見たり触ったりの記憶がないので、おおかた親父が成犬を貰ってきたのだろう。新聞記者だったので、警察にも知り合いはあったろうから、もしかすると退役した警察犬だったのかもしれない。
 Ham少年はこの犬が嫌いだった。名前はラッキー(日本語だと吉田の「吉」だね)だったと思う。幼稚園から戻って庭に入ったときに、私を見て野太い声で吠えられる毎日が怖かったからだ。私よりもずっと大きい身体の犬なので近寄るのも怖かった。今思うとシェパードは賢い種類の犬なので吠えるのは威嚇しているのではなく「おかえりなさい」を言っていたのだろう。近寄ると吠えていたのは喜んでいたのだろう。

ある日幼稚園からひとりで帰って「また吠えられる嫌だなあ」と覚悟しながら庭に入るも、吠えられない。
ラッキーを見やるといつもの首を立てた伏せ姿勢。口はキリッと結んでいたようにも思う。じっとして動きがなかった。不思議に感じつつも家へ入りながら「目がヘンだった」とだけ、ちらりと思った。そしてすぐにラッキーのことは頭から消えた。
 夕食のときだったろうか、母親がラッキーが死んでいたことを父に話しているのを聞いた。少しほっとし、すこし驚いた。
 
そんな姿勢を保ったまま死ぬなんて、弁慶か。やはり退役した警察犬だったのだろうと今にして思う。