ただの日記

ぱちん・・・ぱちん・・・

伸びすぎた爪を切る。
そんなときにもこんなことを考えてしまう。

どこまで深く切るか、どんなかたちに整えるか
そのためには爪切りをどうかまえるか
切った三日月が飛んでいかぬように
真下のゴミ箱にうまく落ちるよう切るには。

こんな小さなことでも決断(まー大袈裟な!)なのである。
見、感じ、考え、決め、実行するという一連のstepがある。

「愚行の連鎖にすぎない」などとも揶揄される人生であるが
瞬間瞬間のちいさな決断、大きな決断の流れの中にある。

ミステイクは出来るだけ減らしたいね。

こんなリンク発見

Facebook内のコンテンツは、通常FBを利用してる人にしか
見られない。
(わしの場合、「親しい友達」「友達」「友達の友達」など制限)

しかしながらこういうリンクが用意してあるのをハケーン!
「みかんちゃん」見てみたい人、ここ栗

「りんごちゃん」見てみたい人、ここ栗

「その他ヘンな写真」見てみたい人、ここ栗

V型12気筒・水冷OHV

びっくりだ。すごいおじさんだ。

生きられるだけは生きよう草萌える  種田山頭火

あすはかへらうさくらちるちつてくる
あたたかい白い飯が在る
あるけばかつこういそげばかつこう
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
いちにち物いはず波音
うしろ姿の時雨てゆくか
うどん供へて母よ、わたしもいただきまする
おちついて死ねそうな草萌ゆる
けふは凩のはがき一枚
けふもいちにち誰も来なかつたほうたる
ここにかうしてわたしをおいてゐる冬夜
この道しかない春の雪ふる
しぐるるや死なないでゐる
ちんぽこもおそそも湧いてあふるる湯
てふてふうらうら天へ昇るか
てふてふひらひらいらかをこえた
どうしようもないわたしが歩いてゐる
ひとりきいてゐてきつつき
ふくろふはふくろふでわたしはわたしでねむれない
ふるさとの土の底から鉦たたき
へうへうとして水を味はふ
へそが汗ためてゐる
ほうたるこいこいふるさとにきた
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
ほろほろ酔うて木の葉ふる
まつすぐな道でさみしい
やつぱり一人がよろしい雑草
やつぱり一人はさみしい枯草
よい道がよい建物へ、焼場です
わかれきた道がまつすぐ
ビルとビルとのすきまから見えて山の青さよ
分け入つても分け入つても青い山
分け入れば水音
咳がやまない背中をたたく手がない
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
寝床まで月を入れ寝るとする
投げ出してまだ陽のある脚
捨てきれない荷物のおもさまへうしろ
春の雪ふる女はまことうつくしい
月かげのまんなかをもどる
月夜、あるだけの米をとぐ
朝湯こんこんあふれるまんなかのわたくし
木の葉散る歩きつめる
洗へば大根いよいよ白し
生死の中の雪ふりしきる
病めば梅ぼしのあかさ
石に腰を、墓であつたか
笠にとんぼをとまらせてあるく
笠へぽつとり椿だつた
笠も漏りだしたか

Dear My Mother

I'm very sorry that I grew up such a stupid man !


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Facebook

Facebook(以下FB)を使い始めたのは結構遅まきで6月頃だったか。
最初は「何じゃこりゃ、分かりにくいなあ」と思い、忙しいこともあって
あまり使わなかった。

11月、本格使用を始める。

12月からは仕事がらみで使うようになり、ほとんど張り付き状態。
それを通して多くの機能と可能性に考えが及ぶ。
「何じゃこりゃ、すっげぇなあ!」

リアルタイム、かつ、ダイレクトな連絡手段として非常に便利だ。
こりゃtwitter、mixiもBLOGもふっとぶわいな。
PCの前に座ることが多いなら、いや、スマートフォン所有ならいつでも
友人や関係先の状況が知れ、タイムリーに連絡がとれる。
デジタイズされたものなら何でも情報共有が即座に出来る。
手紙、電話、FAX、チャット、ビデオ電話、メール、検索、WEBアルバム、
WEBページ、Blog、名刺、身上書、同窓会名簿、関連先検索etc。。。
従来のありとあらゆる連絡手段が包括されたようなものだ。

使わない手はないですぞ。

2011を思い出して〜昨年の記録

2010年12月から始まった職業訓練講師。
佐賀駅前にてWEB制作周辺の講座を行う。
このことはBLOGにもまったく書いていない。
(そんな気力など全く湧かない心身のコンディション)
「これはリハビリである」そう思って始めたくらいのものだ。
心と体にダメージを引き摺ったままのある意味トライでもあった。

勤め人をやめてから10数年、定時に通う苦痛を今また思い出す。
久しく「こちらから用が有る相手」としか会ってなかったので
毎日十人十色の大人数を相手に人疲れしたのも否めない、
だが、同時に、自分の中で永くすぼまり、閉じていたものが
徐々に開かれる感じもあって、あながち悪いものではなかった。
こころの活力を少しずつではあるが取り戻し、自分を奮い立たせる、
そうしたことが我が手に帰ってきたことは大きいことだったと思える。

飲んでいた薬を断ち切ることに成功し、体が戻ると思われた頃、
3月中旬より体調にいろいろな変化が現れ始める。
さまざまな自覚症状。書けばきりが無いほどの変調が訪れる。

寺沼コンビとうまくやれているときには笑いを取り戻した。
はるちゃんには救われた。
家内に毎朝作ってもらう弁当というのも超・久しぶり。
人は、人によってしか助けられないことを実感。続きを読む

由子ママのパウンドケーキ−2−

あるとき由子ママは自分の作ったケーキを
インターネットで売りたいと言い出した。
わしにいろいろ手伝って欲しいと。

店名はシャムロック(Shamrock)
商品は本格イングリッシュレシピのパウンドケーキ。
由子ママのそれを食べて、わしは初めて
パウンドケーキが旨いものだと知らされた。
logo

ずっしりと重く、ぎゅっと凝縮された甘さと香り。
1.5cmくらいに切ったものが2枚もあれば十分。
今までに食べたものは何だったのだ?
すっかすかのスポンジーないんちきケーキじゃないか。

で、サワヲの記述。

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といっても、小麦粉とクリームだけの、ああいう軽くて、
ただの脂肪と砂糖の塊のようなものではなく、
ドライフルーツやナッツ、ブラウンシュガー(私はマスコバド糖を使う)、
モラセス、ブランデー、などで中身がぎっしと詰まり、ナツメグとシナモンの
スパイシーな香りが漂う、ずっしりと重いイギリスのトラディショナルなフルーツケーキ。
---△----------------------------------------------------------

・・・これだよ!おお、まい!

由子ママは250万円をかけてキッチンをケーキ工房に改造
業務用の厨房機器設備を整えた。
わしはロゴを考え、WEBページを作り、リーフレットを作り、名刺を作り、
電子決済のeコマースを完成させた。手伝えることは全て手伝った。
いろいろと試作をし、一緒に評価をし、商品バリエーションも増やした。
クレーム対処にわしが代理で福岡へも行った。(怖がられた)

結果的に商業的成功はしなかった。むしろ失敗。
価格が高すぎたからである。
しかし、製造原価(材料費)は常識はずれに高かった。安くは出来ない。
採算ぎりぎりの、超薄利商売だったのである。

わしは製造原価を落とすように進言した。
由子ママは首を縦に振ることはなかった。
「そんなもの作りたくないわ。」そういうひとだった。
当時家内にやらせていたレストラン用に小ぶりなケーキを用意してもらい
ドルチェとしてセットに沿え、店頭販売もした。
(ぽつ、ぽつと売れ、好評だったが大売れはなかった)

やがてママは持病が悪化、ついに倒れて還らぬ人となった。
わしは大切なひと、友人であり、お客さんであり、
ともすれば母にも似た感情を持つ相手を失った。
レストランのことも、相手を思うこともたくさん教えてくれた。
何度もパスタを食べに来てくれた。
うるさく、あたたかい、ご意見番を務めてくれた。
超のつく毒舌(わしなど足元にも及ばず)で舌鋒鋭く、皮肉を言い、
頭がよく回転し、楽しく、いつもお洒落で、限りなく優しいひと。

熊本の教会に車を走らせ、棺の中の由子ママにお別れを言った。
ありがとう。
涙が、たくさん滲んだ。
後日村の家で行われた葬儀には出る気が起きなかった。

ママの娘はわしが貼ったShamrockのマークをはがさないまま
数年間日産CUBEを走らせた。
あの頃、今のようにBLOG、マイクロBLOG、SNSが発達普及していたら
TVに出て優雅に笑うのはマダムシンコではなくマダムユウコだったかもしれない。

由子ママのパウンドケーキ−1−

由子ママは生前、わしと連れ合いを可愛がってくれたご町内さんである。
お互いにマイペース臍曲がり(?)なので他の世帯とのご近所づきあいは殆どなく
どうかすると変人扱いや根も葉もない噂で陰口を叩かれてしまうタイプなのだ。

そんな臍曲がり同士は、理解し合うと、もう、家族のようになる。

横浜あたりのお嬢様だったらしい。熊本に嫁に行き、子供たちも
育ちあがったので田舎暮らしを思い立ち、身勝手な(?)旦那さんをほったらかした。
田舎村にメルヘンチックな輸入住宅を建て、気ままに一人暮らしを。

村の寄り合い(常会)ではゆっくりとやわらかく、かつ、舌鋒鋭く
誰も逆らえない絶対権力者に、核心を突いた質問を投げる、
そんな女性でもあった。(そのとき村長さんは絶句して答えられずw)

熊本では人をたくさん使ってレストランを経営していたとも聞いた。

由子ママの家(徒歩1.5分)にいくときは「ただいま〜」と、わし。
由子ママは「あら、坊や、来たの?」と迎える。
50歳も近いわしを坊や扱いしてたのはこの人だけである。

ミタ見た?

年中無休で未明に起床しなければならない連れ合いは
(野球する高校生、孝行せい!)
私と娘が10時以降のTVの話をしていると
機嫌が悪くなるんである。
自分は見たいドラマが見られないから。
しかしながら昨日に限ってはこれを破り
とうとう9時からの特別版に引き続きミタ見た。

今朝はというと「キツイ」を連発、不機嫌。
聞いてみたら、やはりミタ見たから寝不足と。
おかげでひどい目を見たと。

それ見たことか。
ネットでゆっくりしたときに視聴するっきゃないのよ。
わしの言うことを聞かずに結局馬鹿を見たのね。

・・・で「ミタ」は幾つ出てきたか数えてみた?
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↓これをプチするとね、凄いことに別段世の中は変わりません
ジモモ佐賀
Yoshida Tadashi

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